なりたかった何かと欲しかった何か

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今日は統士郎お迎えから1年経った日。統士郎をフルチョしてどっぷりはまったドール生活、振り返ってみると色々思うところがあったので、日記にしてみました。

Twitterは不特定多数の人が見ている場所なので、なるべくなるべく気をつけて必要以上のことを書かないように、淡々と更新することを心掛けているのだけれど、ブログは私のページなので、少しは色々書いてみてもいいかなと思い、今日は胸の内を吐露します。

この1年、ハイペースでブログやSNSの更新をしてくることができました。

ドールに来る前は宝塚の推しの応援にどっぷりで、毎月本拠地に遠征をして、東京公演中は自分の仕事をしつつも、毎日のように日比谷で入出待ちをしていました。宝塚の入出待ちというのは、ある意味任務みたいなもので、多ければ多いほど有難がられる、そんな特殊なものです。

お稽古期間などで入出や観劇が無いときはネトゲどっぷりで、毎晩のように戦いに赴いていたし、宝塚の前には、もう何年も夢中になっていたものがありました。

基本的に「これ」と決めたら全力で自分のエネルギーも、時間も、使える金銭も、持ちうるものを限界ギリギリまで突っ込みたいタイプで、自分の情熱や想いに振り回されがち。

特に「好き」という気持ちは厄介で、穏やかな「好き」を日々大切に温めることが出来たらいいのに、どうしても突っ走りたい激情型。

宝塚の応援は、そんな「好き」を人に迷惑をかけることなく、思う存分吐き出すことができる場所でした。

 

その「好き」を原動力に、何かをコツコツずっと続けて成し遂げたい。それはずっとずっと思っていること。

でも私はいつだって中途半端。

小さい頃から色んなことに手を出して、そのどれもがそこそこで、それでおしまい。

例えばイラストをかいてみたり、手芸をしてみたり、音楽をしてみたり。そこそこのところで、大きな世界を見て、辞めてしまう。

こんな風になりたい、このレベルになりたい、すごい、という憧れがこの世には沢山あって、それがまぶしすぎて。

どんなに狭いジャンルや狭い世界でも。

その人たちは努力してその場所にいるのに、同じように努力をすることもなく、ああいいなあ、と、そして目をそらしてしまう。

 

何かを作ること、表現することは好きだから、また新たな世界を見つけては楽しい楽しいとやってみるけれど、壁にぶつかって。長く続けることがなかなかできない。

唯一宝塚の応援は最前線を走り続けることができた、やりきったものかもしれません。

 

ずっとそんな中途半端な自分が嫌で、何かを成し遂げたいと思うのに、コツコツ続けられない自分が嫌で。

上には上があるし、ゴールなんてものはどこにもないから、常に過去の自分と比べて、今より先に行く、それだけでいいのに。

目の前の階段をみて一歩一歩進むだけでどこかへ行けるかもしれないのに、いきなり遥か彼方の上を見て、階段を上るのをやめてしまう自分。

 

それだけ持て余すほどの「好き」のエネルギーをもっているくせに、きっと、その「好き」を評価されることが怖いのだと思う。

テストの点数がでる前に、テストを受けること自体をやめてしまう。そんな感じ。

 

だから、今度のドールだけは、ずっと続けていきたくて。

写真が好き。好きな漫画や舞台やゲームの再現を三次元に起こすのも好き。

ドールが好き。ドールとの日々を残していきたい。

それをTwitterやブログを通して更新し続けていくことで、自分が少しずつ成長できるから。階段を一段一段ゆっくり上がることが出来そうだから。

 

昔のジャンルの友人たちのTwitterを覗いたら、彼女たちにはいつの間にか何千、何万というフォロワーさんがいて。かつて一緒に遊んで貰っていたころから彼女たちにはとても才能があって、憧れて、そしてその才能や持っているものが羨ましく思っていたのだけれど。

私は彼女たちのようになりたかったのだと、ふと思った。承認欲求というよりも、好きなことを好きだーとただひたすらに追及して伸び伸び表現していく姿、そしてそれに惹かれ作品が見たくて集まる人々。

そういうことが、したかったのだと。

人と比べたりすることなく、好きなことを好きだ、と、自分を伸び伸び表現すること。マイナーな世界で鍵をかけることなく、オープンなところで。

それをすることは、沢山の負の気持ちを受け取ることにもなるだろうし、評価されることすらなく、自分の小ささを知って苦しくなるかもしれないけれど、私の憧れている友人たちは、揃って「そんなの気にしてない」という。彼女たちは人の目を必要以上に気にしていない。自分のためにやっているのだ。

最近の私は、いろんなことが怖くなってしまって、必要以上にドキドキ委縮している。

なるべく人に会わないように。発言するときは最新の注意を払って。

もっと楽しんでもいいのに。何を恐れているんだろう。

1年記念の統士郎の写真を撮っていたら、統士郎が好き、大好き、という気持ちがぶわっと押し寄せてきて。

そう、これだ。この感じ。

私は、ドールが好きなんだ。大好きな子を、昨日の自分よりも上手に撮ってあげられるようになりたくて。

ただただ統士郎が好きだと思うこの熱い突き動かされるような情熱に、写真を撮る手が止まらなくなって、初心を取り戻した。

 

必要以上に他人を気にしすぎず、自分が好きで幸せなことをしよう。そのうちいつか、今までたどり着けなかったところに辿り着けているかも。