ルナとリーゼロッテ抽選について思うこと

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京都ドルパでのthe Best of the BESTs Ver.2019の抽選、ルナとリーゼロッテの抽選結果が出始めましたね。

TLでもずっとご縁を願っている人の当選報告があったり、またその逆だったり。

一緒になって嬉しかったり悲しかったり、ツイートを見ていたら色々考えることがあったので、自分のために記録しておきます。

ドール趣味の苦しいところは、欲しい人が全員手に入らないところ。そして次のチャンスがあまり無いこと。

人気の限定やワンオフにどんなに恋焦がれても、一部の人にしか手に入らない。

勿論どの趣味にもそういう面はあるけれども。

例えば、宝塚のチケットだったら、努力次第でどうにかなる部分も大きい。それこそファンクラブに入っていたら、貢献度順でチケットは回ってくるし、公式の抽選をはじめ各種チケットサイト、カード会社の抽選、旅行会社のプラン、友人の伝手等々、手に入れる手段はいくつもあって、本気でどうにかしようと思って早めに動いたら、大抵どうにかなるところがある。あまりにもチケット難の公演だったら生は難しくとも、ライビュやブルーレイ、スカステでの放送で観ることはほぼ叶う。

 

その点ドールに関しては、もしかしたら購入履歴や会員年数などの考慮はあるかもしれないけれど、ある意味平等で。

好きな思いの強さだとか、そういうものでは測られることはなくて、単純に抽選でご縁があるか無いか。他の人が欲しいかどうかの倍率の問題。

それに加えて、申し込みできる状況にあるか、金銭的な余裕があるか…そんなことも関係してくるので、ますます手に入らないときの悔しさ、悲しさが大きい気がする。

 

それ故にご縁を得たときの喜びは本当に大きいし、特別なのだけれど、何かが出るたびに、手に入れられる人、入れられない人が出る世界。
私はそれが時々ものすごく苦しくなる時がある。

 

私はいまだに、中原淳一ロリーナの件を引きずっていて、その事実がとても重くのしかかってくる。

私は「あの一番大好きなお洋服を着た中原淳一のあのロリーナ」が欲しかったから、ロリーナの再販が今後あったとしても意味がなくて、この先あの子が手に入ることはないでしょう。今回のように京都高島屋も最初から抽選だったら、あんなことが起きなかったかもしれないし、でもあの一件があったからこそ、今回抽選に変更になったのかもしれない。

 

あの時沢山のメッセージを頂いたのだけれど、その中で「限定が出るたびに、買えずに泣いている人を見るのが辛い」というメッセージがいくつかあって、未だに忘れることができない。

当時はまだコーディネートやフルチョでしかお迎えしたことが無くて、限定やワンオフの「しんどさ」を全く知らなかったので、そこまでピンと来ていなかったのだけれど、色んなことを体験して、今迄よりも視野が広がって見えるようになったいま、そのメッセージの重みが痛いほどわかる気がする。

ご縁が無かった時にあまりにもしんどいのに、その気持ちの行き場所がないこともまた辛いと思う。

すっぱりあきらめて次に行けたらいいのかもしれないけれど、なかなかそうもいかなくて、黒い気持ちが沸き起こってしまう経験がある人も多いのではないかな。

 

そんな風にいろんなドールとの出会いがあって、叶わぬ思いがいくつもあって、恋焦がれて、だからこそ美しくて。

こんなに苦しい反面、そこがまたドールの魅力。なんて美しくて怖い世界なんだろう。

 

ドールは特に「ヒトガタ」だから、「物」が手に入らなかった時とは気持ちの持ち方も違うと思う。

そして来てくれた時の喜びは言葉にならないくらい幸せで。

 

喜びと悲しみの渦の中で、濁流に飲み込まれないように自分をいつまで保てるかな、と思うのです。

 

ちなみに私はシャルロッテとリーゼロッテを揃えることが大きな目標の一つで、今回も京都ドルパ抽選のリーゼに応募すべく遠征の準備をしていたのだけれど、前日から寝込みとても京都遠征できる状況ではなかったので、今回は応募が叶いませんでした。

これも、定めですよね。きっと、ここでダメだったから繋がるご縁もあると信じています。

京都高島屋ロリーナの一件だって、手に入らなかったからこそ分かったこと、出会えた人、ドールとのご縁が沢山ありました。

 

きっと長くドールと付き合ってきている方たちは、こんな思いをいっぱいしながら、大切な子と出会っていったのだと思います。

どうか、一人でも多くの人に、幸せなご縁がありますように。