平成最後の日に

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ドール全然関係ないんですが、平成最後の日ということで、ブログをやっている身としては何か記録しておこうと思いました。

時代はどんどん移り変わるもので、今書いているブログですら、ドール界隈ではすでに「かつて流行っていたもの」となり、半ば時代に取り残されかけているものとなっています。

mixiとか、ありましたね。全部消したい黒歴史であり、私のあらぶっていたオタク全盛期でもあり。他にもいくつかブログも持っていたし、HPも持っていました。それもゼロからタグ打ちして作ってました。使いこなせないインスタ、そして今メインで使っているTwitterもいつまで主流でしょうか。

このブログもいつの日か私が更新をさぼるようになり、パスワードを忘れログインすらできなくなり、それでも私の書いた文章や画像はネットの海に漂い、いつの日かサーバー終了して消えてゆくのでしょうね。消えなかったらどうしよう。うっかりすごく先の未来にまで残っていたりして。

少なくとも昭和の頃にはこんな風な情報社会ではなかったから、令和の間に色々変わるのでしょう。

私も変わっていくのだろうか、変われるだろうか。

今日悶々している気持ちを、情報の渦であるネットの世界に漂わせる平成の終わりもいいんじゃないかなあと、思いつくままに書き綴ってみたいと思います。

 

 

私はずっとなにものかになりたくて、なれなかった虚しさに時々襲われて憂鬱になる。

なにものかがなにかはわからないし、何を成し遂げたかったのかもわからない。

 

ドールの世界に来る前も、自分の情熱だとか、好きの気持ちだとか、プライドだとか、色んなものを込めていろんな形で創作や表現をしていたのだけれど、それが何をなしたのかは今でもわからない。

ただ今でも繋がってくれている友人や、私を知ってくれる人に、そんなところが好きだとか、私の〇〇への情熱が好きだとか、言っていただけて、私の今までの人生で得たのはそんな友人だと思うし、創作表現し続けたことは無駄ではなかったと思う。

それでも、何かを残したかった、これだといえるような何かを、という気持ちはずっと燻っていて、それこそ「平成最後に自分の代表作を貼る」だとか、「平成で一番バズった〇〇」みたいなタグをみると無性に焦って、私の平成とはいったいなんだったんだろうと思い悩むのだ。

 

思い返せば「すき」という感情に振り回されて生きてきたように思う。

それは大好きな漫画であり、ゲームであり、キャラクターであり、ミュージシャンであり、俳優であり、場所であり趣味であり。ドールもその一つだ。

自分の「すき」という気持ちは年々厄介になってきていて、自分でもその気持ちの対処に困る。すきという気持ちはプラスの感情のはずなのに、そこから幸せも、苦しみも、黒い気持ちも沢山湧き上がってくるから。

早く無償の「愛」の域にまでいけばいいのに。

「すき」に振り回されることなく、ただただ愛す。気持ちが揺らいだり、不安定になったりしない、そんなずっしりと安定感と重みのある「愛」を目標にしようかな。

 

愛のある人ってなんだろう。

 

あなたに足りないのは「愛」ですよ、ととあるところで言われたことがあることに思い当ってしまった。

愛ってなんだ。

 

これからの時代は、純粋に楽しい、幸せだ、嬉しいと思える気持ちを大切にしながら、「すき」を攻略して「愛」の本質を見いだせるように、ゆるゆると生きていきたい。